論理はだけではいいものは作れない

Summary

こんにちは。こんばんは。
Pomelo データサイエンティストの岩井です。

ここに書く文章に(今のところは)特に条件や制限が設けられていないことをいいことに、
自分の書きたいこと、
「論理はだけではいいものは作れない」という話をしたいと思います。

具体化の生み出すもの

早速ですが、本題に入る前に、私の好きな「光」を中心とした2つの作品を紹介したいと思います。
説明文、そして作品の写真の順番に載せるので、どんな作品かを想像しながら説明文を読んでいただければと思います。


『Room for one colour』オラファーエリアソン
黄色の光で包まれた「部屋」が作品になっています。
この部屋中を照らすライトは単一周波数の光を放っており、部屋にいる人が認識できる色の範囲を狭める効果があります。
その効果で、部屋に入った人の視界は全てモノクロになります。服も、人の顔も、全てがモノクロになります。


『人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング』teamLab
(説明文は公式サイトから引用)
無限に広がる水面に鯉が泳いでいる。人々は水の中に入り歩く。
鯉は、水の中の人々の存在に影響を受け、また他の鯉の影響を受けながら泳ぐ。そして、鯉は、人々にぶつかると、花となって散っていく。1年を通して、咲いていく花々は季節とともに移り変わっていく。
人々の存在に影響を受けて泳ぐ鯉の軌跡によって、線が描かれていく。
作品はコンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として以前の状態が複製されることなく、鑑賞者のふるまいの影響を受けながら、変容し続ける。今この瞬間の絵は2度と見ることができない。

それぞれの作品の写真が以下になります。

参照:https://olafureliasson.net/archive/artwork/WEK101676/room-for-one-colour
参照:https://www.teamlab.art/jp/w/koi_and_people/

teamLabの作品は常設なので、興味がある方は是非、見に行ってみてください。

論理と体験

さて、
説明から想像した作品と、実際の作品から受ける印象は同じものだったでしょうか?

こう言えばもっと完璧に作品説明できるのに!と思った方もいらっしゃるかも知れません。
しかし、おそらく、これらの作品を忠実に言語に翻訳することは不可能でしょう。

アート作品は典型的ですが、アート作品に限らず、
この世界にあるもののほとんどは言葉がついていなかったり、言葉で説明できないものであると私は考えています。
特に喜怒哀楽や感動といった、身体性を伴う「体験」は「説明」することができません。そして言葉を紡いで形成される「論理」もまた、その多くが「良い体験」を作るためには不十分であると考えています。

私が大学のプロダクトデザインの教授にしきりに言われたことの一つに、「君の作品は『論理』で考えている」という言葉があります。
論理だけで考えた作品は「体験」が欠如します。
デザインプロセスでは、作ることによって自分で体験し、体験を元にまた作るといった身体性を伴う実験が不可欠です。(「プロトタイピング」とも言います)
Apple や 任天堂 の作るプロダクトが代表的ですが、良い体験は必ず論理の飛躍を起こしています。

論理を越えた体験を生み出すためには、具体化させる力が必要となってきます。そして、具体化の能力は身体性を伴う訓練によって身につけられるものです。「体験」は「体験」によってのみ理解することができるためです。

ところで、Pomaloが扱っている主なプロダクトは「文章」です。

良い体験を持つ典型的な文章プロダクトは「古池や蛙飛びこむ水の音」でしょう。Pomaloの持つ具体化の力に対して如何にデータを掛け合わせていくことができるか?を考えながら日々業務に励んでいます。

「データ」は抽象的か、具体的か

さて、データサイエンティストらしく、データの話で終わろうと思います。

果たしてデータは抽象なのでしょうか?具体なのでしょうか?
結論から言うと私は「どちらにもなり得るが、具体にならなくてはいけない」と考えています。

ビジネスの世界では、
「データだけでは顧客の理解はできない、ちゃんと観察するべきだ」と、抽象的なとして語られることもあれば、
「主観ではなく、ちゃんとデータを見て理解しよう」と、具体を見るためのものとして語られることもあります。

気を抜くと、データはただの机上の空論になります。
如何に具体に近づくことができるか、が次の時代のデータのあり方ではないか、と私は考えています。

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