“不寛容”な時代におけるコンテンツの正しい在り方とは何かを考える

Summary

唐突ですが、
最近「ポリコレ」という言葉について勉強しています。

ポリティカル・コレクトネス(political correctness=PC、通称ポリコレ)
言語表現や創作物、社会制度などからあらゆる差別をなくすべきだという考え方。

このテーマを扱うにあたって、「ポリコレ」という表現は正しく無いようなので、以降「PC」と略します。

数年前から、主に海外のネットを中心に企業やメディアの表現に対してメスを入れる流れが強くなってきている今日、コンテンツを制作する側の私達がどのような点に注意をしなければならないのか。各ジャンルごとに事例を見ながら考えていきたいと思います。

今回触れる”コンテンツ”には、広告や商品表記、映画、ゲームなどが含まれます。
その上で、私達の主戦場であるオウンドメディアではどうなんだろう。という個人的な見解も書いていければと思います。

昨今は、PCに配慮しすぎてしまう風潮に対して逆に批判的な意見を持つ方も多いので先に言っておきますが、個人的にはある程度肯定的な意見でいます。タイトルで”非寛容”と書きましたが、別に否定はしてませんのであしからず。

とはいえどちらの考えも理解できるので中立な立場から見解を述べていきたいと思います。

事例①:広告

広告は、趣味嗜好問わず多くの方の目に触れるものであるが故に、特に今回のようなテーマでは批判の的になることが多いです。

某報道番組のCMに対する批判が集中した事件はまだ記憶に新しいです。これは、おそらくだいぶ時代の先を進んでいる会社に勤めているであろう女性が「ジェンダー平等は時代遅れ」というテーマで会話を進めている構成になっている。今の若い人たちの中では当たり前だよ的な。

このCMではむしろ、「ジェンダー平等」が達成された素晴らしい社会を生きる女性を描いた超ポジティブな内容になっていたはずだが、誤解され、誤解が解けても尚コピーや表現部分で袋叩きにされた。

事例②商品表記

これは商品に関する説明文やコピーなどでPCへの配慮を進めるという、企業の炎上対策やブランディングが当たります。

例えば、
外資企業がが肌の色による優劣を連想させる「ホワイトニング」などの表記を取りやめたり、
スキンケア商品を販売する企業が、「美白」という表現を使用しないと発表したりといった動きが分かりやすいかと思います。

炎上してしまった例については、コンビニエンスストアチェーンで扱われていた「お母さん食堂」などが分かりやすく、女性が料理をする事が当たり前。のようなコピーに対して批判が集まったようです。

その他様々な炎上や批判の共通点として、「こういうもんでしょ」という、ある層に対してのステレオタイプな表現が批判の対象になる傾向が強い印象です。

商品表記においては、ストーリーや文脈が他のコンテンツに比べ少ない分、
表現を変えれば解決するものが多いので、企業も注意しやすいのでは無いでしょうか。

事例③:映画

映画でも最近よくPCへの配慮であろう作品を見かけることが多くなってきました。世界的に有名な作品の主人公が男性から、黒人の女性へ変更されたり、LGBTQに属するキャラクターが主人公の作品等、様々な形で新しい作品を生み出しています。

米アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーは、2020年8日に作品賞にノミネートされるための条件として多様性の項目を設置してるほどです。女性や人種マイノリティーなどを積極的に起用することなどが条件とされているようです。

ここまでいくと”配慮”というより、多様性のある社会が当たり前になるために、映画業界が引っ張っていくんだという程の気概を感じるので清々しいです。いろんな映画作品がこぞって乗り出す意味も見えてきます。

ただ、賞を狙うために歴史ある作品が設定の変更に乗り出したりするのを見ると少し残念な気もします。消費者として考えると、大好きだった作品の主人公が変わったりするのは難しい感情になりますね。

事例④:ゲーム

ゲーム業界(主に海外)でもPCに配慮したコンテンツの制作が活発に進んでいるようです。
PCに配慮するための前提として、どんなゲームが非配慮なコンテンツに当たるのかを見ていきましょう。下記が一般的に非配慮とされる設定の一部になります。

・主人公は男性
・LGBTQ等、キャラクターデザインに多様性がない
・ある一部のセクシュアリティが弱い立場というステレオタイプな表現

などが、厳しく批判を受けるような昨今のゲーム業界。配管工のヒゲ男が、お姫様を助けるために怪獣と戦う、という誰もが知るあのゲームなんてまさにそういった批判を受ける設定の象徴なわけです。

何十年も同じ設定で世界中から評価を得ていた所に、この批判はあまりにも酷な気もします。
ライフが一機減った時のあの音が聞こえてきそうですが、こうやって批判を受けつつも設定を守ってゲームの歴史を紡いでいく。というのは個人的にはアリかなと思います。

最近では、PCに配慮し尚且面白いという素晴らしいゲームも、ネットを調べれば代表的なものがいくつか出てきますので、気になる方は調べてみてください。

オウンドメディアはどうあるべきか

どんなメディアにも、”ターゲット”が必ず存在します。昨今、いかに消費者や読者に「自分ごと化」をしてもらうか、そのために共感性の高いコンテンツを供給することが重要かつ必須のポイントになっていると感じます。

自社の理想とする姿ではなく、いかに顧客目線で考えるか。

ターゲットとするある一部の層に対して共感性の高いコンテンツを作ると、違う価値観を持った人にとっては共感できない内容になるリスクもある。そのため、PCへの配慮も必要以上にすれば良いという訳ではない気がします。

抑えるべきポイントは、デリケートな話題は表現に注意し、何かしらを批判するコンテンツはNGとし、凝り固まった考えを発信してしまわないように外部の視点が入っている事が重要。

コンテンツの信頼度を下げる結果にならないよう、ターゲットの志向に沿う。そのため日々の流行やムーブメント、批判されているものや炎上にアンテナを強く持っておくことも重要です。

まとめ

大きな企業やターゲットが広い範囲に設定されている場合、制作側としては配慮を強める必要があるというのは確か。ただ、消費者の意見とは相反するケースも出てくると思います。「前のほうが良かった」など配慮のし過ぎに対するバッシングも避けて通れないはず。

逆に、ターゲット範囲が狭いニッチなものや、カルチャー思考の強めな商材の場合は、共感性や自分ごと化させるための戦略が刺さりやすくするために、そこまで配慮は必要ないように感じました。

マス向けに発信した内容は淘汰される時代が来てしまうのか。
マス向けが負け戦なら小さなコミュニティ向けのコンテンツの方が価値が高くなるのか。
未来が想像つかないであります。

消費者的な意見だと、原作があるものや、歴史や文化に根付くようなものでコンテンツを作る場合は、配所が足りていない内容であろうと、その内容や設定こそが、その作品がその作品たらしめるテーマになっている事も少なくないので、なるべく寛容な目線で見てもらえると有難いとも思う。

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