告白は会ってする派? 電話でする派? LINEでする派?

引地 海

Summary

このコラムでは、Pomaloのクリエイティブディレクターである引地海が、自身の経験をもとに解釈したコミュニケーションの本質や考え方、関係づくりのアイデア、そしてそれらの着火点になる「情熱」について論じていきます。実体験による独断と偏見、さらに歪んだ自意識をベースに好き勝手に書きますので、変わり者の偏った意見だと思って、ご笑覧いただければ幸いです。

前回、ニュアンスもテキスト化しなくちゃいけない、ということを書きましたが、もう少し実感値を持てる例えをしたいと思います。

すばり、「愛の告白」です。好きな人に自分の気持ちを伝える。その行為は人類誕生以降、ずっと続いてきている行為だと思います。でもその手段が時代ごとに変わっている、というお話です(ちなみに前持って言っておくとプロポーズのような一世一代の告白というよりも、もう少しライトな、好きな人に気持ちを伝えるぐらいの告白体験の話ですw)。

家電(いえでん)で告白なんてできなかった

僕が10代の頃は、好きな人に告白する時は「会って言う」というのが主流でした。その方がニュアンスも伝わるから。もちろん電話もありましたが、まだ家電(いえでん:一家に一台あった固定電話)だったので、家族がいるリビングの隅っこで、”そういう雰囲気”を作れるはずもなく・・・。

でもそれがいつしかピッチになり、携帯電話になり、そしてショートメールやeメールになっていきました。最近、当事者として愛の告白をすることはなくなりましたが、きっと今どきの若者たちは、告白をLINEでするようになっているんでしょうね(いや!もうそれもすでに時代遅れかも知れませんが!)。

でもそこにニュアンスがないわけじゃない。きっとデジタルネイティブ世代にはLINEではLINEなりのニュアンスの作り方(伝え方)があるはず。しかも、それがテキストになっているとは限らないし、絵文字でも、スタンプでもないかも知れません。残念ながらおじさんの僕にはそのニュアンスを汲み取ることはできかねますが(若者たちも無意識だと思うのですが)、でも絶対にLINEにはLINEの「行間の読み方=ニュアンスの表現方法」があるはずです。

ラブレターの破壊力

また自分の話で恐縮なのですが(自慢したいわけではいのですがw)、学生時代にラブレターをもらったことがあります。衝撃でした。手元に物質的に存在する紙という媒体に、活字で相手の「気持ち」が書かれていました。僕がどんなリアクションをしようとも、どこで読もうとも、その手紙のトーンや雰囲気、文字のカタチは変わらない(当たり前ですが)。ものすごく破壊力のあるコミュニケーションでした。正直、何度も読み返しましたし、布団をかぶって読み返してみたこともあります(懐かしい!)。

ちなみに、決して現代の若者が全員LINEで愛の告白をしている、と言い切るつもりは毛頭ありません。実際、今でも会って告白するという若者もいるはずですし、今の時代に「ラブレターが一番伝わるよねー」とか言ってる若者がいたら拍手を送りたい。

物理的に会うことが制限された2年間

ただ、2020年から約1〜2年間、ここまで「会うことが制限された」事象は人類史上ありませんでした。しかもそれが世界規模で起こった。

そんな未曾有の事態に伴い、新しい告白のカタチが生まれた(生まれ始めている)はずです。ひょっとすると、それは全く新しい仕組みではなく、むしろ原始的な「会って言う」もしくは「ラブレター」の破壊力を見直す機会だったのかもしれません。現時点で、その影響がどのようなものだったかは、まだわかりませんが、とにかく、これからのコミュニケーションのあり方、多様性、そして可能性は、これまでにはないほど流動的なものになっているはずです。

コミュニケーションはなくならない、と思う

それでも、人は恋をします。気持ちを誰かに伝え続けます。昔、日本人はその気持ちを短歌にして、相手に届かなくとも、恋心を育んだりしていたのです。「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね」と翻訳した作家がいたぐらいですから。

自分の気持ちを誰かに伝える、という行為は未来永劫なくなることはない。よってコミュニケーションを軸にしたビジネスもなくなることはないんです。

息子たちがどんな恋愛をして、どんな手段で愛の告白をするのか。教えてもらえはしないだろうけど、そっと見守っていきたいと思います。だってそこにビジネスのチャンスがあるわけですから。

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